脂肪を脱ぎたい。

58歳、身体をひきしめる記録ブログ(にするつもり)

「ボヘミアンラプソディ」【2】

【本日の計測】 体重 54.6kg
計測開始日(2018.8.8) 60.2kg より-5.6kg
【昨日12月10日(月)の食事と運動】

朝 バターコーヒー

昼 サバカレー

夜 ご飯、サバ塩焼き、カキフライ、レタス&トマト、えのきと油揚げの味噌汁、長いもすり下ろし、リンゴ、大根おろし、納豆

ダンベル 3㎏15回ずつ○

ステッパー30分間○

高麗人参エキス○

黒にんにく○

チアシードオイル○

夜入浴○

およっ。最低値から1㎏増。あわてない、あわてない。最低値更新したあとは、はねあがるのが通常パターン。1ヶ月ほどじたばたしたあとに、下がるはず。冷静に、冷静に。


さて、「ボヘミアン・ラプソディ」つづきです。


いい映画だと思います。何よりメンバーの容姿の再現度がすごい。フレディは顔立ちやプロポーションがちょっと違うけど、ライヴの動きかたなんてもうそっくり。プロモーション映像見たとき、ドキュメンタリー映像かと思ったくらい。かつての熱烈なファンとしては、ブライアンの目の色はもうちょっと濃かったよとか、もっと胃下垂的な細さだったよとか、指の細長さがちょっと違うなとか、思うところはあるけれども、いやいやいや他人が演じてるレベルは超えてるから!というくらいの再現度でした。フレディの歌声を使っているそうで(もちろんそっくりさん歌手とか、主演俳優の歌声とかもあるらしいけど)、吹き替え感はないです。


各所に流れるクイーンの曲がね!懐かしくて、そうそう、こんなだったよー、あーこれ好きだった曲だー、といちいち嬉しかったです。


中でも、婚約者のメアリーに同性愛者としてのセクシュアリティを告白するところの曲、「Love of My Life 」は好きだったなあ。メロディが美しくて、英 語 が 簡 単 なんですよ。中学校の教科書レベルで、中学生でも、ちょっと辞書を引けば一言残らず理解できました。「あなたは私を傷つけた。幸せな日々を戻して、私から奪っていかないで。あなたにはそれがどんなことなのかわからないでしょう?」という破局の歌なんだけど、そうか、そういう意味があったのか!とはじめて知りました。実際にメアリーに捧げた歌らしいです。もちろん、メアリーの立場で歌ってますよね。主語はメアリー、傷つけたのはフレディです。ラブオブマイライフ、カーントユーシー♪あ、いけない、つい歌ってしまう。


ただくい込みが足りないなと感じる部分もありました。フレディが享楽に走る背景が、同性愛者としての苦悩とか、フレディの孤独感とか、そういうところに焦点を当てていたけど、えーっとね、わかりませんよ、わからないし当時中学生だったし、ネットもなくて情報もなかったから確信はないけど、やっぱりね、アーチストとしての行き詰まりとか、苦悩とか、そういうものも大きかったんじゃないのかな、と思うんですね。


というのは、アルバムの1枚目と2枚目は作りためていた曲、ライブで演奏していた曲、作りたいコンセプトがあふれ出してたと思うんですよ。思い出してきたけど、2枚目のアルバム「Queen Ⅱ」は、物語みたいな構成で、ストーリーはないけれども、アルバムがそのままつながってドラマみたいになっている構成でした。だからグレーテストヒッツCD などでバラバラに聞いちゃダメなんです。


音作りも、映画にも出てくるけどものすごくこだわっていて、いろんな音をいろんな録音方法でアナログに作り出してて、「シンセサイザーを使ってない!」ということを誇らしげに明示してました。


だけど、そんな凝った音作りや曲作りが「ボヘミアン・ラプソディ」という曲で、一定の頂点を極めちゃったんじゃないかと思うんですよ。ちょっとインテリジェンスを持った技術のある、変わったことをやってるブリティッシュ・ロックのバンドが、変わったことを極めてしまったというか。作品的にも極めてしまった。あとはどうしたらいいんだろう、どうなるんだろうと中学生ながら思いました。私は、初期のロック路線が好きだったから、余計に「こんなとこまで上り詰めたら後戻りできないんじゃあ。でも、この路線がそんなに続くわけはないし‥」と。


だから「ボヘミアン・ラプソディ」が収録された「オペラ座の夜」の次のアルバム「華麗なるレース」はあまり好きではありませんでした。何を聞いても、「ボヘミアン・ラプソディ」に届かない気がして。


そしてそのつぎのアルバム「世界に捧ぐ」に収録されていたのが「We will Rock You 」でした。(これ、ブライアンの曲なんですね。)凝って凝って凝って作り上げた「ボヘミアン・ラプソディ」を突破したのが、足踏みと手拍子のアカペラ「We will Rock You 」という答えだったのか、と文字通りRock されたわけですけど、そのアルバムに収録されていた「We are the Champions 」がまた、辛くて。「僕たちはチャンピオンなんだ(だから勝ち続けなくちゃならないんだ)」という悲壮感を勝手に感じてしまって、胸に迫りました。


あと、「ノーシンセサイザー」が通用する時代でもなくなってきてました。Queen が凝って凝って凝って作った音を、シンセサイザーは素人でも一発で作れてしまう。1970年代末から80年はじめは、日本ではテクノポップが大流行していました。YMO を筆頭に、ピコピコ音が飛び交い、「ノーシンセサイザー」がナンセンスになっていく、そんな時代でした。本当のところはわからないけど、フレディの退廃的な享楽は、そんな背景もあったんじゃないかと思うんですね。ま、全くの勘違いかもしれませんけどね。


ただ、ライヴエイドがあった1985年の時点で、ピークを過ぎたバンドという感じはあったと思います。私、今回思い出したんだけど、1985年のライブエイド直前の最後の日本ツアー、しかも最終日らしい大阪城ホール公演、行ってるんですよ。自分にとっては最初で最後の生Queen コンサートでした。就職二年目。何で行ったのか、そのときはもうファンじゃないというか、どんなアルバム出しているのかも知らない状態だったのに。たぶんチケットが簡単に買えたんだと思います。ふらっとぴあに行ったら(当時はネットはなく、店舗カウンターで買っていた)あったんじゃないかな。もちろんガラガラではなかったですよ。空席が目立つようなこともなかった。でも、完売はしてなかったんじゃないかな。


そういえばステージにも覇気がなかったような印象でした。というか、生ステージはじめてだったから比較のしようがないんですが。自分が年を取ったからかな、とも思ってましたが、その頃、映画に描かれていないことでもいろいろあったみたいです。アパルトヘイト政策を遂行している南アフリカ共和国でコンサート開いて批判されたり、とか。今になっていろいろ検索して知りました。


でライブエイドで、バンドとしての再生を果たす、というんてすけれども。


それにしても、最後の日本ツアーの最終日の場に立ち会えているというのはやはりご縁があったんでしょうね。オノ・ヨーコにはなれませんでしたが(笑)


まだ、気が向けば「ボヘミアン・ラプソディ」か、少女の頃の思い出か、そのあたりのことを書きます。今回いろいろ思い出して検索してはじめて知ること、思い出すことがあって懐かしかったです。