脂肪を脱ぎたい。

57歳、身体をひきしめる記録ブログ(にするつもり)

QueenのCDを聞きながら、あれこれ思い出す

【本日の計測】 体重 53.4kg

計測開始日(2018.8.8) 60.2kg より-6.8kg

【昨日12月29日(土)の食事と運動】

朝 ココナッツオイルコーヒー

昼 うな丼ダブル、肝吸い、サラダ(宇奈とと)、くるみ2個

夜 小餅2個、薄焼きアーモンドクッキー2枚、クッキー2個、ラスク3枚、のらぼう菜の煮物

ダンベル 3㎏15回ずつ○

ステッパー30分間○

黒にんにく○

チアシードオイル○

夜入浴○

おお、最低値更新。53㎏台前半の値を見ました。そろそろ体脂肪率の計測を考えないとね。でも体重とサイズで大体わかります。もうこの身体と付き合い長いですから。


映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見てから、サイトを検索したり、you tube眺めたり、かつてのファン少女なりにQueenのことにいろいろと触れています。レコードはかけにくいので(一応プレーヤーあるんですよ)、CDを買いました。自分が一番熱心に聞いていた1-4枚目のアルバムの、2011年リリース版です。イギリスからの取り寄せが一番安かったので、「オペラ座の夜」以外はイギリス版、日本語解説はありません。


昨日、寒中見舞いを書きながらやっと聞きました。懐かしかったなあ。でも、今だからわかることもいろいろあって。1枚目のデビューアルバム「Queen 戦慄の王女」(1973年発表)はブリティッシュ・ロック色の強い作風なんですが、すでに「フラッシュ・ゴードン」(1980年)のようなコーラスが各所に使われているんですね。


ちなみに今の今まで「戦慄の女王」だと思ってました。王女なんですか( *゚A゚)それじゃあクイーンじゃなくプリンセスだよ。「女王」じゃ語感がキツすぎるからという当時のレコード会社の意向だとWikipediaに書いてありました。いや、そういえば中学生の頃「王女?クイーンなのに??」と思った覚えがあるようなないような。イギリスである程度売れていたとはいえ、日本の市場でどうなるかわからないデビューアルバムの販売戦略だったんでしょうが、今なら笑えます。ふたを開ければ日本で少女たち中心とはいえ大ブレークですからね(ブレークという言い回しも当時はありませんでしたが)。


やっぱり私は2枚目の「Queen Ⅱ」が一番好きです。作風は少しずつ変わっていますが、2枚目「Queen Ⅱ」から3枚目「Sheer Heart Attack」(「キラー・クイーン」はこのアルバム)の変化が大きいのだなあと(当時も感じてましたが)改めて思います。ブライアン・メイ色の濃い作風から、フレディ色が一挙に色濃くなった感じがします。


映画にも出てきていたイギリスのTV番組「Top of the Pops」などの70年代映像がQueen Official からyou tube にアップされています。


Queen - Queen In The 70s

それを見てドラムスのロジャー・テイラーの口が「タコの口」になっているのも懐かしくてニヤニヤしちゃいました。映画の俳優はそっくりだったけど、ロジャーは演奏するとき「タコの口」になるんですよ、時々。それも再現してほしかったな。いや、してたのかもしれません、私が見てなかっただけで。


それにしても、75-76年当時にこんな映像見たかったな。地方都市のピヨピヨ女子中学生が見られる映像って、PVか、限られたライブ映像だけ。UHF局と呼ばれた京都周辺しか映らない近畿放送(現KBS京都)で「ポップスインピクチャー」という、海外バンドのPVを流す番組をやってました。今検索してみたら、どうやら独自放送だったみたいです。偉いぞ、近畿放送!(KBS京都)。ま、PV流すだけなら製作費があまりかかりませんよね。でもいいところに目をつけたというか、少なくとも海外バンドの熱狂的ファンにとっては福音とも言える番組でした。


ただ、数ある海外バンドすべてが対象なので、当然Queenが流れない週もあって、中学校にハガキ持っていって友達にリクエストハガキ書いてもらってました。そんなことしても、同じPVしかテレビ局も持ってないんですけどね。でもたまに「Queenの新映像が入りました!」と流してくれていたのは、女子中学生の努力を汲んでくれていたんでしょうね。今思うに、ラジオ番組のテレビ版みたいな作りだったな。パーソナリティーがリクエストを受け付けて、レコードじゃなく映像を流すという形でした。え?京都周辺だけのローカル放送で、リクエスト番組?ひょっとしてせっせと友達に頼んで書いてもらっていたハガキ、結構番組編成に影響してたんじゃない?そういえばパーソナリティーが「Queen には、ほんっとにたくさんのリクエストをいただいています」って言ってたの、私(たち)のこと?いや、他にも同じことしてた人たちいると思いますが、当時自分が思っていたよりずっと母数は少なかったかも。


でも、とにかく限られた映像を繰り返し繰り返し見てました。ロジャーの「タコの口」はその限られた映像だけのことだったのかもしれませんけどね。


時は流れて、1991年11月、フレディがHIV感染を公表します。その翌日に死去したことが報道されて、もうすっかりファン熱はなくなっていたものの、しばし呆然としました。その時私は長男を妊娠していて、自分自身が妊娠・出産という想像を絶する未踏の道に踏み出していました。フレディの死のニュースを聞いて、自分の夢見る少女期が本当にすっかり終わってしまったのだ、と感じたような気がします。


「ボヘミアン・ラプソディー」(映画ではなく歌の方)について考えたことを、後日また書いてみたいと思っています。